概念を変えると見え方変わる
なんだろうか、やっぱ決まり事を聞いたりみたり感じると
うっせぇ!って反発して出てきそうになる私がいる。
落ち着けば別に責められてるわけじゃないんだけど
なんか『ルール、決まり事、普通』に胸焼けしてくるのはなんでだろう。
いや、決まりがあるからこそ安心したり安定したりもしてるんだけどね。
決まりを作ることで普通が作られ人がどうみてくるか?に対して…考えられてる気がして嫌なんだろうな。
散々私も人にどうみられるかをやってきたしまだやってるしもう、それいいやん!やらんでいいやんって思うのだけど世間一般、多数派に飲まれるし
不安恐怖でやはり戻ってくるよね。
あ、でもそうか。
人にどうみられるか?がわかってて決まりを作って安心する。っていうことがわかってるのってすごいことか!
特にお葬式なんか心がふるふるして安定しないんだもの
悲しみに集中したいしこれから〜の人生に集中したい。
そんな中で網タイツでミニスカート履いてピンヒールの人来たらめっちゃ集中できない(笑)
で、めっちゃその人かっこいい!ってなるわ(笑)
今の時代の、今のルールって世の中にはあるけど
むかーし昔は人が死んだ時に部族でとむらうとき
悲しみをともに、弱った心を皆で支えるため
意識を合わせたんだろうなぁと思う。
悲しみはある。それはあるから仕方がない。残された我らで共に強く優しく生きていこう!ってきっと心を寄せ合ったはず。
そのためにもやっぱり【目視的に合わせる】は、時に大切なのかもしれないね。
ルールに対しての反発心が出てくるのに対しては何か別のものが絡んでる。それは上でも書いてるけど今まで自分が人の目を気にして合わせていたことに対して
悲しいよ!自分のことをよくみて!自分らしく!
自分がどうしたいのか!
が、できなかった自分に対して悲しくなって怒ってるからだと思う。
だだそれだけ.
なので決まりが!って言われると不安になり敵視や不快な感覚があるんだ。
なのでルールがあることは悪くない。それが好きか嫌いかはあると思うけど
なんかループする。